ブッダは言う。
あなたが味わうもの、嗅ぐもの、見るもの、聞くもの、
それらがあなたの感覚を研ぎ澄ます。
味わうことに意識を向けなさい。
食するときは何もかも忘れて、ただ舌の味蕾になりなさい。
全力でそこに在りなさい。
できるかぎり深く食物を味わいなさい。
するとハッとするだろう。
それもひとつではなく、思いがけなくたくさんのことに。
まずは、必要以上に食べられないことに気づくはずだ。
食事制限など必要ではない。
ダイエットをするのは愚か者だけだ。
二、三日我慢したあとに、仕返しのように食べ物に飛びつくのがオチだ。
すると減った体重よりもっと多くの体重が戻ってくる。
もしあなたに知性があるのなら、「味わうこと」に意識を持っていくことだ。
そもそも、なぜあなたは必要以上に食べるのか?
理由は簡単だ。
あなたがちゃんと味わっていないからだ。
すると、味わいたいという欲望が満たされず、もっともっと詰め込むことになる。
あなたがきちんと味わっていれば、あっという間にあなたは満たされて満足する。
身体はすぐに「もう結構!」と言ってくる。
あなたに聞く耳があれば、身体が「ごちそうさま」というのがわかるはずだ。
あなたは今そこにいない。
あなたは食事をしているが、そこには存在していない。
会社に行っているか、どこか余所へ行ってしまったか、星の数ほどの何か別のことをやっている。
これだけは確かだ。
あなたは、あなたが席についているそのテーブルにはいない。
いつもどこか別の場所にいる。
あなたがそこにいることはない。
あなたの存在はそこには見当たらない。
もしあなたがそこにちゃんといて、食べることに全面的であれば、
その刹那、
食物は単なる食物ではなく、神聖なるものに変化する。
ウパニシャッドは言う。
Annam brahma・・・食物は神である。
なんと素敵なことばだろう。
食物は神である。
かの人々は味わっていたに違いない。
味わうことなしに、食物に神を見出すことは不可能だ。
彼らが食べることに反対するはずがない。
断食に積極的なはずがない。
肉体を餓えさせよと指導するはずがない。
Annam brahma・・・食物は神であると言った人々が食物断ちに賛成するはずがない。
空腹でいることはスピリチュアルなことでも何でもない。
食べるがいい。
ただし、瞑想的に、黙って静かに。
あなたたちは食べながらおしゃべりしている。
話してはいけない。
おしゃべりをしていると、神があなたの中に吸い込まれていく喜びを見逃してしまうからだ。
あなたは食べる喜びを見逃してしまうだろう。
食べる喜びを見逃せば、もっと味わいたいという渇望のせいで、あなたはキリがないほどに詰め込み続けるのだ。
人々は一日中何か食べているのにちっとも満足しているようには見えない。
日に三食とれば、いや、二食で十分のはずだ。
ところが人々は一日中食べている。
特にアメリカ人ときたら!
食べること以外他に何をすればいいのかわからないのだろう。
口を動かしていることが彼らのすべてだ。
食べていなければおしゃべりしている。
おしゃべりしていなければ煙草を吸っている。
煙草を吸っていなければ、チューイングガムを噛んでいる。
口はいつもふさがっていなければならないらしい!
OSHO「ダンマパダ」より